そこらの住人

雑多に軽率に生きている記録

私のコペルニクス的転回の話

27で死ぬ予定だった。

27で死ぬことに憧れていた。

私はあと8ヶ月で27になる。

私は、生きることにした。

 

これは、私のコペルニクス的転回の話である。

 

私は"なんかいつも楽しそうな人"になりたかったし、"いつも明るくにこにこしたいい人"になりたかった。そうであろうとした。私は私の神様になりたかった。そうやって13の頃から生きてきたのだ。

26になった晩夏、私は、私の神様とおわかれすることにした。

 

「そういえば、私、なんのためにニコニコいい子してんだろ」

深みに嵌った。わからなくなった。アイデンティティでもあった、にこにこした自分の意義がわからなくなったのだ。元は自分のために始めたであろうはずの上機嫌も、結局は私の助けには(私を救う神様では)ならなかったことに気がついた。

 

いい子のメリットデメリットを上げ、友人たちになぜ私とともだちしてくれているかを尋ねたが、もちろん理由は"いい子だから"ではない。そりゃそうだ、な話なのだが、当時の私にはびっくりな出来事だったのだ。

記憶のあるうちの自分像は、結構とんでもない生き物だったから。

自己中心的でわがままですぐに拗ねて逆ギレする子どもだった。しかも口が達者で身体も大きく、力も強かった。社会性も協調性も皆無な、友人たちに聞いて百発百中でホグワーツの寮ならハッフルパフと即答されるような今の自分から、最も遠い人間だった。

家族に徹底的に矯正してもらってやっと社会的動物になれた記憶も自覚もある化け物。

これが26晩夏時点で自認している自分の姿だった。

それが「別にあなたとは"いい子"だから付き合ってるわけじゃないよ」と言われたら心底驚く、の正体である。

ここで私は気がついた。

矯正してもらったということは、現在も矯正器具をつけたまま生活しているのと同義ではないか。矯正というのは矯正器具やリテーナーを外せて初めて矯正成功と言えるのではないか、と。

 

この際友人たちに送った文章がこれである。

不器用で、ふらふらしてて、すたすた歩いちゃうし飲食スピードダイソンだし、せっかちだし、なのにどんくさいし、超絶頑固だけど、大丈夫ですかね...みんな笑って許してくれますかねえ、、、話すの大好きだからいつまでもだる絡みするし、すぐ歌い出すし、人の話すぐ忘れるんだけど、、、(原文ママ)

私の友人たちは、幸い皆、優しく寛容で聡明でゆかいだ。

それがせぶんでしょ?と笑って言ってくれた。

感謝しかない。

 

私はもう、私の神様だったのだ。

私のことは、私の神様ではなく、私が決めて良いのだ。

多分それはずっとそうで、そうであったんだろうけれど、そのことに自分が気づき、自分で許可を出せる状態に在るまでにこれだけの年月が必要だったんだと思うことにした。

 

そうと決まれば話は早い。

私は私のために生きていいのだ。

やりたいことがたくさんある。

私はもとより、将来の夢が5つくらいあるワンダーガールだったのだ。

やりたいことがたくさんある。

 

これが私のコペルニクス的転回の話である。

 

ーーー

 

なんでもしていいですよ、なんにでもなれますよ、

と言われ、私は、出家して〜〜〜〜〜〜と思った。

 

つまるところ、俗世のことになんら関心のない、庵に住む仙人みたい、めちゃくちゃ茶目っ気のあるゆかいな老人になりたい、と思った。

たまたま、テレビっ子でスポーツ観戦が趣味の祖父母と面食いでミーハーでジャニオタな母のいる家庭で育ったが故に今でこそ元気なさまざまな沼のオタクであるが、子どもの頃は祖父の膝の上でのおしゃべりと読書だけを楽しみとしていた、盆栽みたいな人間である。宇宙・歴史・地理・文学・哲学・宗教にばかり興味のある人間だ、放っておくと文芸すら読まなくなるほど学術書や新書が好きな人間だ。元気な家族と闊達で聡明な友人に囲まれ、ファッションやアニメ、流行やお笑いにも関心を寄せられるようになった盆栽だ。

適度にミーハーをし、音楽や芸術に触れつつ、貯まったお金で本を読み、好きな人々と語らう人生を送りたい、と思った。

 

ちなみにこう思った瞬間から希死念慮で動けなくなる日が減った。

 

2025年からは、ニューせぶんだ。

庵は八畳。駅近新築。

もっと身軽になって、愛せる範囲のものを大切にする。

生きるとは、知ること。

たぶん、これでいい。